今サファリはドライバーが命


最近は ranger を雇う事もなくなり、ドライバーの知識も熟練度、
体験頻度や記憶力の相違で,同行添乗員としてもお客様への
期待に応えるべく,ドライバーを吟味します。

やはり撮影に慣れているドライバーと通常のサファリのみに従事
しているドライバーとでは、細かな点,車の止め方、太陽光線、動物
の向き動きを敏感に察知し、気配りが違います。
ただ単純に動物を見付けて他の車を出し抜いて,真ん前に止めたり、
動物が先へ行こうとしてるのに何度も動物の進行を妨げるような
車の進め方だったり、他の車でカメラを構えている人々がいる
のにその前を堂々と横切ったり・・・。

数えたら切りがない程マナー違反のドライバーがいます。

特にケニア、8月の数週間、マラ川でのヌーの川渡りが世界中
で有名になり、一目見ようと観光客が溢れる時期、神経質なヌー
がウロウロ、川渡りを始めるために躊躇している反対側で、車
から降り、煙草を吹かし、大声で話している観光客。全く無神経
極まりないです。ドライバーも注意するどころか一緒になって
行動しています。

それこそ、イエローストーンの公園管理方法を学ぶべきと・・・。

かってとある大手の会社が施して来たドライバー教育は、昨今
は残念ながら行なわれておらず、無線の発達と共に動物を探す
事も下手、お喋りやチップだけはおねだり上手といった連中が
増えました。

視力が良くて幾ら遠くの動物を探せても、我々観光客が見れる
範囲でなければ単なるシルエットです。ちっとも面白く有りません。

無駄口を叩かず、静かに適当な知識力で説明をし、カメラで撮り
易く、地理に闌け、時間配分もピタリと決められるドライバーは
中々そういるものでもありません。

そんな幸せなドライバーに出会ったらあなたのサファリは最高の
ものになるでしょうけど・・・。

今サファリはドライバーが命


最近は ranger を雇う事もなくなり、ドライバーの知識も熟練度、
体験頻度や記憶力の相違で,同行添乗員としてもお客様への
期待に応えるべく,ドライバーを吟味します。

やはり撮影に慣れているドライバーと通常のサファリのみに従事
しているドライバーとでは、細かな点,車の止め方、太陽光線、動物
の向き動きを敏感に察知し、気配りが違います。
ただ単純に動物を見付けて他の車を出し抜いて,真ん前に止めたり、
動物が先へ行こうとしてるのに何度も動物の進行を妨げるような
車の進め方だったり、他の車でカメラを構えている人々がいる
のにその前を堂々と横切ったり・・・。

数えたら切りがない程マナー違反のドライバーがいます。

特にケニア、8月の数週間、マラ川でのヌーの川渡りが世界中
で有名になり、一目見ようと観光客が溢れる時期、神経質なヌー
がウロウロ、川渡りを始めるために躊躇している反対側で、車
から降り、煙草を吹かし、大声で話している観光客。全く無神経
極まりないです。ドライバーも注意するどころか一緒になって
行動しています。

それこそ、イエローストーンの公園管理方法を学ぶべきと・・・。

かってとある大手の会社が施して来たドライバー教育は、昨今
は残念ながら行なわれておらず、無線の発達と共に動物を探す
事も下手、お喋りやチップだけはおねだり上手といった連中が
増えました。

視力が良くて幾ら遠くの動物を探せても、我々観光客が見れる
範囲でなければ単なるシルエットです。ちっとも面白く有りません。

無駄口を叩かず、静かに適当な知識力で説明をし、カメラで撮り
易く、地理に闌け、時間配分もピタリと決められるドライバーは
中々そういるものでもありません。

そんな幸せなドライバーに出会ったらあなたのサファリは最高の
ものになるでしょうけど・・・。

国によってサファリはちょっと異なる・・・。


世界旅行の一つとしての国のアフリカ、アフリカの中での東部
アフリカ、そしてケニアやタンザニアと国名に繋がりますが、
旅行業、アフリカの諸国を専門にしている立場でも、つい一言、
”アフリカ ”で済ませてしまう悪い癖(?!)があります。国連に加盟
している国数から言っても54カ国もあります。それぞれ歴史も文化
も異なった言語を持つ多民族の国々です。植民地時代から勝手に
宗主国に国境の線引きをされた悲しい格好の国々もあります。

なので一言で表現は出来ないのです!

さてやたら前置きが長くなりましたが、サファリとなると即、頭に
浮かぶのは、ケニアやタンザニアそしてボツワナでしょうか?
ケニアやタンザニアは東部アフリカで同じ英国の植民地下にあった
ので色々な部分で相似点がありますが、ボツワナとなると南アフリカ
等々と共にかなり異なって来ます。

サファリ初めての方々には先ず、ケニアヘ行く事をお勧めします。
日本からはここ数年でアクセスも良くなり、先ず動物が見易い、
諸物価高騰の折り、まだ安く手配出来る等々利点が多いです。

それに比べボツワナは宿泊費が高く、そう気軽には行けません。
又動物も疎林地帯か半砂漠地帯で見難く、すれ違う車も少なく、
かなりワイルドな感じです。使用車もオープン・カーで座席が
階段状になっており、確かに窓枠等に邪魔されず見易いですが、
常に自然の野生の中に身を置くリスクを伴う様な気がします。
カメラを撮るにしても固定出来る場所がないという不安定感が
残るようです。

又殆ど全てにおいて白人コントロール下でのしっかりした教育、
サービス、知識の披露と云った感があります。

長くなりました、次回はタンザニアにも話を・・・。

国によってサファリはちょっと異なる・・・。


世界旅行の一つとしての国のアフリカ、アフリカの中での東部
アフリカ、そしてケニアやタンザニアと国名に繋がりますが、
旅行業、アフリカの諸国を専門にしている立場でも、つい一言、
”アフリカ ”で済ませてしまう悪い癖(?!)があります。国連に加盟
している国数から言っても54カ国もあります。それぞれ歴史も文化
も異なった言語を持つ多民族の国々です。植民地時代から勝手に
宗主国に国境の線引きをされた悲しい格好の国々もあります。

なので一言で表現は出来ないのです!

さてやたら前置きが長くなりましたが、サファリとなると即、頭に
浮かぶのは、ケニアやタンザニアそしてボツワナでしょうか?
ケニアやタンザニアは東部アフリカで同じ英国の植民地下にあった
ので色々な部分で相似点がありますが、ボツワナとなると南アフリカ
等々と共にかなり異なって来ます。

サファリ初めての方々には先ず、ケニアヘ行く事をお勧めします。
日本からはここ数年でアクセスも良くなり、先ず動物が見易い、
諸物価高騰の折り、まだ安く手配出来る等々利点が多いです。

それに比べボツワナは宿泊費が高く、そう気軽には行けません。
又動物も疎林地帯か半砂漠地帯で見難く、すれ違う車も少なく、
かなりワイルドな感じです。使用車もオープン・カーで座席が
階段状になっており、確かに窓枠等に邪魔されず見易いですが、
常に自然の野生の中に身を置くリスクを伴う様な気がします。
カメラを撮るにしても固定出来る場所がないという不安定感が
残るようです。

又殆ど全てにおいて白人コントロール下でのしっかりした教育、
サービス、知識の披露と云った感があります。

長くなりました、次回はタンザニアにも話を・・・。

記憶に残るセレンゲティ国立公園のレンジャー


それこそ1980年代はドライバーの知識を疑う訳ではないが、各
公園でそこのプロ、ranger(公園管理官)にサファリのガイドをして
貰う事が流行っていました。実際warden(野生動物管理官)に
ガイドを依頼するのは意味が判るが、その当時は気軽に依頼出来ず、
又公園の治安上でもレンジャーを雇用する事が場所によっては
必要条件だった時期がありました。

初の添乗ではなかったのですが、度々人気の彼に依頼する事が
出来て彼の実力?の凄さに圧倒されました。

特に記憶に残るのはチーターのトムソン・ガゼルの仔供のhunting
でした。今では状況判断がかなり出来るのですが、その当時は
余りにも身近で唐突に行なわれてしまった場面に出くわした(イエ、
セッティングされた!?)ので何が何だか圧倒されてしまって
前後の脈絡が不明でした。

余りにも昔の事なので記憶も定かでないのですが、ヒョウを見付ける
事も得意で、その当時はまだまだセレンゲティ国立公園内でも
オフ・ロードが可能な結構沢山場所がありましたので、動物を
深追いしても戻るべき道、方角を一瞬見失った時でもナビゲートも
確実でした。

その後色んな会社が国営の会社に変わって台頭し、ドライバー教育
や教本も普及して日本語ドライバーも出現すると云う現在の出現に
至っているのでしょう。

当時はクリスマスや大晦日等ドライバーは呑んだくれて遅刻したり、
休憩時にはモクモクと煙草を吹かすと云った光景が普通でした。
それこそ教本の最初の頁には先ず朝起きたら、” 歯を磨く事 ”
から始まっていました・・・。

それが今や色んな職種から転業して来たエリートマンも多く,つい
最近は気球のパイロットになったドライバーもいました。

西江 雅之 先生のLIVE


丁度先週土曜日、三軒茶屋で現代音楽家の寒川晶子さん
のピアノを交えて,文化人類学者、語学研究の大家であられる
西江 雅之先生の講演会が行われました。先生にお会いするのは
それこそ大阪赴任時代にお会いしただけで、超お久し振りでした。

一度倒れられたとお聞きして心配でしたが、血色も良く、お元気
そうであの独特,絶妙な語り口は、エンドレスでお聞きしていたい
お話でした。

そこで気になった言葉ですが、”旅” ”旅行” ”ツアー”の相違でした。

”ツアー”は家を出てから全て与えられ組み込まれた日程・内容
で動くもの、保障付き。 ”旅行”とは目的地、現地で与えられた
ものを観察・見学するもの。 ”旅”は家を出てから家に戻るまでの
全ての行程で新しい発見・観察・見学が可能なもの。

これらの微妙な相違点は、普段全く意識せずに使用していた旅行
業に従事する者、昨今の旅行に何か物足りなさを感じていたものに
取っては、旅という原点に帰るべきと意識させられるご指摘でした。

西江先生にスワヒり語を教えて頂いてから、人に教える事・それを
教えてくれる先生と出会う事の大切さをつくづく感じています。

いつまでも先生お元気で!そして先生の独特の視点から研究が
益々面白く貴重なものになりますよう,心からお祈りしています!

西江 雅之 先生のLIVE


丁度先週土曜日、三軒茶屋で現代音楽家の寒川晶子さん
のピアノを交えて,文化人類学者、語学研究の大家であられる
西江 雅之先生の講演会が行われました。先生にお会いするのは
それこそ大阪赴任時代にお会いしただけで、超お久し振りでした。

一度倒れられたとお聞きして心配でしたが、血色も良く、お元気
そうであの独特,絶妙な語り口は、エンドレスでお聞きしていたい
お話でした。

そこで気になった言葉ですが、”旅” ”旅行” ”ツアー”の相違でした。

”ツアー”は家を出てから全て与えられ組み込まれた日程・内容
で動くもの、保障付き。 ”旅行”とは目的地、現地で与えられた
ものを観察・見学するもの。 ”旅”は家を出てから家に戻るまでの
全ての行程で新しい発見・観察・見学が可能なもの。

これらの微妙な相違点は、普段全く意識せずに使用していた旅行
業に従事する者、昨今の旅行に何か物足りなさを感じていたものに
取っては、旅という原点に帰るべきと意識させられるご指摘でした。

西江先生にスワヒり語を教えて頂いてから、人に教える事・それを
教えてくれる先生と出会う事の大切さをつくづく感じています。

いつまでも先生お元気で!そして先生の独特の視点から研究が
益々面白く貴重なものになりますよう,心からお祈りしています!

1980年代のタンザニア・サファリ


先ずタンザニアのサファリ・ツアーが軌道に乗る前、現地の手配
会社は国営、且つ、経済力もなく、ケニアとの国境も開いてた時代
です。

1985,86年はそれが経済恐慌に陥り、国境が封鎖されて、1970
年代後期と同じような様相を呈して来ていました。巷にバターも
砂糖も小麦粉もなく、正に油抜きの茹でた薄い塩味の料理ばかり
でした。

サファリのガソリンは乏しく、数少なく行き交う他社の車から
ガソリンを直接ゴムホースで口移しで分けて貰った記憶もあります。

又手配中のお客さんが国境が閉鎖になってしまって、かなりの
ハードなルートでタンザニア、セレンゲティからケニア、ナイロビへ
帰らざるを得なかった事。

車も2輪駆動車が全盛で無線もなければ、故障に備えたジャッキや
スコップ、チェーンすらも持ちあわせていませんでした。

ドライバーはぬかるみの道を怖がり、今や当たり前になってしまい
ましたが、たまに4輪駆動車が通ると泥川等で嵌った際には助けて
貰えるので非常に感激でした。

あの頃のドライバーは朝から晩まで肉体労働で、水も出ない宿泊先
それでも鼠色のボロボロ雑巾で窓や車を掃除し、灰皿に貴重な水
まで張って、健気な笑顔で出迎えてくれたものでした。その当時
はドライバー自身もまだまだヘビー・スモーカーでしたし。

でも今現在のように洒落たお料理でなくても、お湯も水も出なくて
も何よりもサファリも楽しく、人々も素朴で良い時代でした。