ラム島への道のり


http://www.facebook.com/index.php

ケニアの島の話の続きで、ケニアの港町、モンバサからラム島への
陸路での道程について一言記しておきます。

11月だったか最初の試みは、あっけなく雨季に阻まれて道路寸断と
云う事で中断され、モンバサで暫し時間を費やし、次にtryしたのは
その年の12月末でした。まだ途中の道はローカル・バスが人や荷物
を満載していては進めないので、乗員は皆降ろされて、腰まで浸かる
泥道を暫く歩かされました。

今思えば住血吸虫やら得体の知れない虫にやられなくて無事だった
のが不思議な位でした。

記憶が正しければ、モンバサからマリンディ更に、バスを乗り変えて、
キリフィ、そこから船で対岸に渡り、ワタムからヒンディそして再度
フェリーでラム島へ渡りました。

アラブ文化は島のあちこちの道筋に残っていますが、ザンジバル島
のような重厚感や圧迫感はなく、余り印象に残っていませんが、のん
びりした島でした。

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ケニアの島の話の続きで、ケニアの港町、モンバサからラム島への
陸路での道程について一言記しておきます。

11月だったか最初の試みは、あっけなく雨季に阻まれて道路寸断と
云う事で中断され、モンバサで暫し時間を費やし、次にtryしたのは
その年の12月末でした。まだ途中の道はローカル・バスが人や荷物
を満載していては進めないので、乗員は皆降ろされて、腰まで浸かる
泥道を暫く歩かされました。

今思えば住血吸虫やら得体の知れない虫にやられなくて無事だった
のが不思議な位でした。

記憶が正しければ、モンバサからマリンディ更に、バスを乗り変えて、
キリフィ、そこから船で対岸に渡り、ワタムからヒンディそして再度
フェリーでラム島へ渡りました。

アラブ文化は島のあちこちの道筋に残っていますが、ザンジバル島
のような重厚感や圧迫感はなく、余り印象に残っていませんが、のん
びりした島でした。

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