ケニアには首都のナイロビから第二の都市、東海岸に位置する
モンバサへ向かう鉄道が有ります。
過去、この鉄道で大きな事故が起き、一時旅行業者や観光客が
利用する事を避けていた時期もありました。
昨今は、そんな大きな事故が起きた事すらも知らない若い世代が
利用しているのかなと思います。
老朽化による鉄橋の落下事故でしたが、その後は全然そんな話
も聞かなくなりました・・・。
この鉄道建設に当たっては、インド人が携わった長い歴史を持って
イます。
ウガンダでは以前、国の大部分の経済を牛耳っているインド人の
やり方に反発して、独自の経済発展のためとインド人を一掃して
しまった時期も有りました。
ケニアでは共存とは言えないまでも、インド人はケニア経済の中で
もとても大きな役割を果たしており、日用品から建設や小売、観光
業、運輸等様々分野に幅広く関わっており、実権を握っていると思
えます。
この通称モンバサ鉄道は、建設に膨大な費用が掛かり危険を伴っ
た事から ” 狂気の路線 ” とも呼ばれたそうです。
1890年代半ばまでにケニアを事実上支配した英国は、ドイツへの
対抗上、内陸部や隣国ウガンダの開発を目論んでいました。
しかし鉄道建設の仕事は恐ろしく厳しく、モンバサから約1000km
離れたビクトリア湖畔のキスムまでの路線を例に取ると、完成までに
約2500人の労働者が命を落としたそうです。
インドではその半世紀近く前から鉄道建設が始まっており、エンジ
ニアも建設労働者も必要な技術を身に付けていました。新しい生活
を夢見て、インドからケニアに渡った労働者は3万人を超えたそうで
す。
彼らを苦しめたのは厳しい暑さと長時間労働だけではなく、建設現
場の周辺に、2頭の人食いライオンが出没した事もありました。
その犠牲者は28人とも100人以上とも言われ、労働者達がライオン
を恐れた余り、工事自体が中断する事態となリ、最終的にはその2
頭は射殺されたそうです。
この実話は、日本でも動物作家として有名だった故戸川幸夫先生
がお書きになった本にも出て来ます。
又この鉄道の近辺にツァボ国立公園が有りますが、その公園内の
とあるロッヂのレストランの壁面に当時の写真が掲げられています。
そのライオンの写真も・・・!
更に人々は建設中、病気、マラリアやカラアザール(黒熱病)等と
戦わなければならなく、医療機関がなかった事も含めて多くの命を
奪われる事になった様です。
そして現在ケニアでもインド系住民は経済において大きな役割を
果たしているものの、現地に溶け込んでいるとは言えず、孤立を
防ぐよう務める必要があるとされています。
彼ら自身もモンバサやタンザニアの大都市、ダルエスサラームと
違い、キスムのインド系住民は真の同化には至っていない、同化
したと言えるのは買い物やビジネスの場面だけだとも述べています。
難しい問題ですね・・・。
写真は、2009年タンザニアのイエ、世界が誇る国立公園セレン
ゲティに突然、アラブ首長国連邦の息が掛かった超豪華ロッヂが
建設されました。当時から現在に至る大統領の証明文言が、キン
ピカ看板に書かれロッヂの玄関に掲げられています。