このブログも2~3日おきから1週間おき、更には10日前後にやっと更新
するような体たらくになってしまいました。正に痛恨の極みです・・・。
それと先々回にお約束した、カメラのレンズ等々に関するコメントが、
どんどん延び延びになっている事をお詫びします。今回もセレンゲティ
国立公園でのリカオン復活に関するお話を掲載したいと思っています。
レンズがどうのとグタグタ御託を述べても、フィールドで良い写真を数多く
撮らない事には、偉そうな事は言えないなと、ある意味体験主義になって
しまうかもしれませんが・・・、ま~そんな訳で当分は。。。。
さてここ数年、セレンゲティやンゴロンゴロ地区でかなり見掛けられている
リカオンですが、ドイツのフランクフルト動物学協会の2月22日付けの発表
に貴重な軌跡が掲載されていましたのでお知らせします。
それこそ10数年位前にはセレンゲティ国立公園はおろかケニアのマサイ・
マラにすらもその姿が見られなかったリカオンですが、ここ数年何処か彼処
で見付けたとのニュースが入って来ています。
日本でもアマチュアの方が撮影された動画やお写真を数多くお見受け
するようになりました。
しかしその盛衰の歴史は長く、注目を浴びたのは1977年ンゴロンゴロ・
クレーターの西部で42頭のパックが発見されてからでしょうか・・・。
1960年代まではセレンゲティ国立公園のレンジャーでさえ害獣として
いた位で、激しく迫害されていたにも関わらず彼らは生き延びていたの
です。
時代と共に公園周辺の住民人口が増え、家畜のヤギ等が彼らに捕食
される事から、一段と毒殺等が増えました。
1980年代には発信機での追跡もなされるょうになりましたが、彼らの
行動範囲はかなりの広さに辺り、天敵のハイエナやライオン更には
家畜から伝染した疾患等によっても益々その数を減らしていきました。
そして1991年絶滅の危機に瀕した彼らは、セレンゲティ・マラからその
姿を消しました。
20001年セレンゲティの東部ロリオンド地区にまだ生存している事が
確認されましたが、彼らはセレンゲティやマサイ・マラには戻りません
でした。
彼らは一層夜行性の習性を活かして狩りをし、人間から離れて生きる
ようになりました。
2012年には、このロリオンドに棲息していたパックを確保し一旦保護、
そして西部へ移動(リリース)しましたが、そのパック達はケニアの深部
北部へ北部へと離れて行きました。実に4000kmもの移動だったそう
です。
2016年2月に17頭のパックが6回目のリリースが行われたそうです。
今後、人々がリカオンの貴重さに気が付き、努力してそれが報われる
日々が来るでしょうか・・・?一旦失われた生命・奪われた生存は幾ら
近代科学でも復活はさせられないのです。
写真は、正に今月22日以降に始まっているンドゥトゥ地区でのヌーの
出産シーンで見られる仔供達、何故か母親のそばでなく・・・、顔が
真っ黒で目が見えない(汗)けれど、可愛いですね~。
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