振り返って見るとその当時、ケニア・タンザニア間の唯一
陸路通過可能な国境だったナマンガですが、肝心なサファリ
を開始する前・後にあたり、色々な苦労話がありました。
入国・出国手続きというのは空港でも、蒸し暑いところで
長時間ずっと立ちっ放しで待たされ色々疲れる面倒な事柄
ですが、ここナマンガでは、唯一お手洗いが不便でした。
日本から飛行機を乗り継いで、かなりの長時間強いられた
疲労、それから解放されたとはいえ、珍しさや好奇心で気が
張る事は事実ですが、生理的欲求は必ず2時間おき位には
訪れるもので、相変わらず薄暗くポットン式のお手洗いが
数個には困惑でした。これは事前に書面で提示していて利用
前にもご注意致しますが、中々現実は受け入れ難く、又我慢
しようにも不可能な絶望感・・・(笑)。
暑い時には幾ら日本より湿度が少ないとはいえ、冷たい飲み
物等購入に必須な換金の問題は、ドルが幅を利かせています
から対処可能でしたが、購入出来る代物が衛生的にも冷たさ
の観点からもあの当時は残念ながら???でした。
この国境が完全閉鎖から晴れて開門となった現在、今でこそ
かなりスムースで形ばかりの手続きと思えるようになって
いますが、情報の少ない当初は、色々懸念が有りました。
でももう完璧に払拭されたようですね。
閉鎖になる前はケニア側でケニアの紙幣の持ち出しが厳しく、
再度入国用に取ってある紙幣を隠すのが一苦労でした。
係官がやたらと怖くて、バックの中等開けて見られたりも
しました。限度額を超えた部分が見付からないかとヒヤヒヤ
でした・・・。
確か数年間は国境でケニア側とタンザニア側とで車を乗り換え
なければなりませんでした。その国籍や異なった会社の車が
出会う事が出来るまで出国や入国手続きをして時間が過ぎますが、
出会えずにオロオロした事も。
当時は無線が全部の車には施されていない会社もあり、交換
していた無線の番号が無効だったりと、今の無線頼り一辺倒の
時代からは予想もしなかった事です。
車を乗り換えなくても済むようになった際には、タンザニア側
の車でケニアの空港まで進めました。道中、ケニア側の車には
嫌がらせがあり、タンザニア側の純朴なドライバーがとうとう
堪忍袋の緒を切らせて、大型トラックのケニアの運転手に食って
かかった事もありました。
ケニアの空港の火事騒ぎ時は、かなり混乱が生じていましたが
国境で車を交換しなくて済むようになった時点の初の不安材料
になりました。
ある中東の航空会社がタンザニア北部のサファリや登山の基地、
観光の起点となる町アルーシャの近くのキリマンジャロ空港に
直接乗り入れを実現させて、無駄な(!?)経由地の道中は省略可能
となりました。
勿論陸路で国境を越える醍醐味、アフリカ一高い山、キリマ
ンジャロ山を車から降りて大地から仰げ見る自由は我慢せざる
を得ない事になってしまいましたが・・・。
ですが、この航空会社も離陸後、キリマンジャロ山の周囲を
旋回して、両側窓側座席のお客様をしかっり楽しませてくれて
います。(拍手!)
写真は、タンザニア北部、セレンゲティ国立公園での乾季の
チーター3兄弟。