先ずタンザニアのサファリ・ツアーが軌道に乗る前、現地の手配
会社は国営、且つ、経済力もなく、ケニアとの国境も開いてた時代
です。
1985,86年はそれが経済恐慌に陥り、国境が封鎖されて、1970
年代後期と同じような様相を呈して来ていました。巷にバターも
砂糖も小麦粉もなく、正に油抜きの茹でた薄い塩味の料理ばかり
でした。
サファリのガソリンは乏しく、数少なく行き交う他社の車から
ガソリンを直接ゴムホースで口移しで分けて貰った記憶もあります。
又手配中のお客さんが国境が閉鎖になってしまって、かなりの
ハードなルートでタンザニア、セレンゲティからケニア、ナイロビへ
帰らざるを得なかった事。
車も2輪駆動車が全盛で無線もなければ、故障に備えたジャッキや
スコップ、チェーンすらも持ちあわせていませんでした。
ドライバーはぬかるみの道を怖がり、今や当たり前になってしまい
ましたが、たまに4輪駆動車が通ると泥川等で嵌った際には助けて
貰えるので非常に感激でした。
あの頃のドライバーは朝から晩まで肉体労働で、水も出ない宿泊先
それでも鼠色のボロボロ雑巾で窓や車を掃除し、灰皿に貴重な水
まで張って、健気な笑顔で出迎えてくれたものでした。その当時
はドライバー自身もまだまだヘビー・スモーカーでしたし。
でも今現在のように洒落たお料理でなくても、お湯も水も出なくて
も何よりもサファリも楽しく、人々も素朴で良い時代でした。