続セレンゲティ国立公園への道

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マニャラ湖からカラトゥを経てンゴロンゴロへ行く道は、ずっと上り坂
です。マニャラ湖からはセレンゲティを越えてビクトリア湖に到るまで
1本道です。その急峻な1本道で車が行き交います。

ただでさえ、粘土質の道で滑りやすく、道幅は狭く、柵もなく・・・。

数度ンゴロンゴロへのリムを走行中、断崖に車が落ちているのを見ま
した。
1回は奇跡的にも1昼夜を宙ぶらりんで過ごし、早朝に助けだされた
ネーテイブもいました。

もっともバッファローですら数年でしょうか、ずっと死骸が木に吊り
下がっていた事もありました。

それが現在ではマニャラ湖の手前のビュー・ポイントまで立派な柵が
出来、道路も日本のODA支援による完璧な舗装道路でンゴロンゴロ
自然保護区入り口までは快適になっています。

ンゴロンゴロからセレンゲティは絶対に舗装は有り得ないでしょうし、
する必要性もないでしょう。それが公園を救う1つの手段でもあり、結果
だと思います。

欧米では良く高速舗装道路の下に獣の通り道を作って、野生動物達の
行動圏を確保しているようですが、果たして東部アフリカ、タンザニア等
では効果が上がるのでしょうか?

どんどん開墾や近代化の設備の狭間で彼ら野生動物達の喘ぎが聞こ
えてきそうですが・・・。

写真左:マニャラ湖遠景(壮大なリフトバレー)
  右:ンゴロンゴロ火口原を臨む

再びケニアで象の密猟の知らせ

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サンブル国立保護区はケニアの北部、ケニア山、赤道を越えた
半砂漠のような乾燥地帯にあり、稀少な美しい動物達が棲息する、
日本人には余り馴染みの少ない公園です。

そこで本の1週間前に、最年長の雌ボスがその象牙のために密猟
に合ってしまったそうです。何て事でしょう!

最近は遺伝的に象牙の長さや大きさ、重量が小さくなって来ている
とも聞きます。

実際彼女の極最近の生前の写真を見ても、彼女の象牙はそんなに
大きくもないようでした。それよりも、ボスを失った彼女の家族達の
ボンドは今後暫くは大変苦労するのではないでしょうか?

ボス象は単純に歳を重ねているだけでなく、水の所在、道の具合、
生活の全てに関わる知識を有し、困難を乗り越える知識を持ち合わせ
ているからです。

そして決定打は、象牙は今だ日本や中国(香港)、台湾が著しく
その消費を進めている事です。

巷では最近象牙のアクセサリーは日本では目にしなくなりましたが、
在庫と称して印鑑や三味線のバチ、更には置物が今だ売られている
ようです。

ただ最近はヨーロッバでもかなりの象牙製品が取引されている
事実も発覚しているそうで・・・。

何をか言わん私目もトルカナ湖へ行く途中や、サンブルへ行く途中で、
こっそり地元の子供達が売りに来たのを購入してしまいました。
反省してます。陽の目を見ない美しいそれらの製品はどう処分したら
良いのでしょう。

購入した当時は象牙も然りですが、ライオンの牙や毛玉、キリンや
象のしっぽの毛で作った腕輪等もありました。

勿論それより以前、1970年代にはライオンの顔の毛皮で作った
ハンド・バックや、象の足のゴミ箱、ストール、シマウマは勿論
ヒョウの毛皮等々もかなり大々的に商品として店頭に並んでいました。

又、ハンティングが公認されていたのでトロフィーや毛皮製品の
オンパレードでした。ハンターの家にはこれみよがしにそんな
人間の一時の欲のために餌食になった動物達が一杯飾られて
いましたし・・・。

その後彼らハンター達は、一様に罪の意識からか、その後半生を
動物保護やその関連に終始しているように見受けますが・・・。

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011081803

掲載写真はIFAWより

http://www.ifaw.org/ifaw_japan/media_center/press_releases/2_22_2011_69665.php

再びケニアで象の密猟の知らせ

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サンブル国立保護区はケニアの北部、ケニア山、赤道を越えた
半砂漠のような乾燥地帯にあり、稀少な美しい動物達が棲息する、
日本人には余り馴染みの少ない公園です。

そこで本の1週間前に、最年長の雌ボスがその象牙のために密猟
に合ってしまったそうです。何て事でしょう!

最近は遺伝的に象牙の長さや大きさ、重量が小さくなって来ている
とも聞きます。

実際彼女の極最近の生前の写真を見ても、彼女の象牙はそんなに
大きくもないようでした。それよりも、ボスを失った彼女の家族達の
ボンドは今後暫くは大変苦労するのではないでしょうか?

ボス象は単純に歳を重ねているだけでなく、水の所在、道の具合、
生活の全てに関わる知識を有し、困難を乗り越える知識を持ち合わせ
ているからです。

そして決定打は、象牙は今だ日本や中国(香港)、台湾が著しく
その消費を進めている事です。

巷では最近象牙のアクセサリーは日本では目にしなくなりましたが、
在庫と称して印鑑や三味線のバチ、更には置物が今だ売られている
ようです。

ただ最近はヨーロッバでもかなりの象牙製品が取引されている
事実も発覚しているそうで・・・。

何をか言わん私目もトルカナ湖へ行く途中や、サンブルへ行く途中で、
こっそり地元の子供達が売りに来たのを購入してしまいました。
反省してます。陽の目を見ない美しいそれらの製品はどう処分したら
良いのでしょう。

購入した当時は象牙も然りですが、ライオンの牙や毛玉、キリンや
象のしっぽの毛で作った腕輪等もありました。

勿論それより以前、1970年代にはライオンの顔の毛皮で作った
ハンド・バックや、象の足のゴミ箱、ストール、シマウマは勿論
ヒョウの毛皮等々もかなり大々的に商品として店頭に並んでいました。

又、ハンティングが公認されていたのでトロフィーや毛皮製品の
オンパレードでした。ハンターの家にはこれみよがしにそんな
人間の一時の欲のために餌食になった動物達が一杯飾られて
いましたし・・・。

その後彼らハンター達は、一様に罪の意識からか、その後半生を
動物保護やその関連に終始しているように見受けますが・・・。

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011081803

掲載写真はIFAWより

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セレンゲティ国立公園への道

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1980年代そして1990年代半ばまでアルーシャからの道、特に
マニャラ湖から先、ンゴロンゴロそしてセレンゲティまではかなり
の悪路でした。
ドライバーも疲労度は高かったかと思いますが、都会出の日頃
スポーツ等身体のために何かするとか一切実行していない、
添乗員としてはそれこそ、披露と睡眠不足で毎回5~6kgとかなり
のダイエットになりました。

特に、マニャラ湖からンゴロンゴロにかけての道は泥道で且つ
丘陵地帯、肥沃とされるカラトゥの町近辺に至っては、毎朝トラック
やら大型輸送バスがサファリ・カーと一緒になってしまい、
ぬかるんだ道を皆でノロノロ走行でした。

それだけならまだしも、大型トラックが横転して道を塞ごうもの
なら、数時間どころか半日飯なし! で待たされるという非常事態
でした。

それでその当時から常にインスタント・ラーメンや魔法瓶を携帯
していましたので、いざと云う時は民家やキオスクのお店等から
お湯を貰い、道端で広げました。何はなくともお腹が膨れれば
イライラ等の気持ちも納まろうというもの。

菜園等今流行りのオーガニック農場と宿泊先を併せ持つ、この
カラトゥにあるギブス・ファームに寄る際は、本道から約40km
ですが、一旦ぬかるむと地面がお汁粉のようになって、車がお尻
を振ってダンスします。

今現在もこの道は舗装はされていません。乾季にはラテライト
(鉄分を含んだ土)の砂埃が植物から人に至るまで、真っ茶色に
染めていきます。車で通過するには、ちょっと後ろめたく且つ
由々しき問題だと思います。

セレンゲティ国立公園への道

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1980年代そして1990年代半ばまでアルーシャからの道、特に
マニャラ湖から先、ンゴロンゴロそしてセレンゲティまではかなり
の悪路でした。
ドライバーも疲労度は高かったかと思いますが、都会出の日頃
スポーツ等身体のために何かするとか一切実行していない、
添乗員としてはそれこそ、披露と睡眠不足で毎回5~6kgとかなり
のダイエットになりました。

特に、マニャラ湖からンゴロンゴロにかけての道は泥道で且つ
丘陵地帯、肥沃とされるカラトゥの町近辺に至っては、毎朝トラック
やら大型輸送バスがサファリ・カーと一緒になってしまい、
ぬかるんだ道を皆でノロノロ走行でした。

それだけならまだしも、大型トラックが横転して道を塞ごうもの
なら、数時間どころか半日飯なし! で待たされるという非常事態
でした。

それでその当時から常にインスタント・ラーメンや魔法瓶を携帯
していましたので、いざと云う時は民家やキオスクのお店等から
お湯を貰い、道端で広げました。何はなくともお腹が膨れれば
イライラ等の気持ちも納まろうというもの。

菜園等今流行りのオーガニック農場と宿泊先を併せ持つ、この
カラトゥにあるギブス・ファームに寄る際は、本道から約40km
ですが、一旦ぬかるむと地面がお汁粉のようになって、車がお尻
を振ってダンスします。

今現在もこの道は舗装はされていません。乾季にはラテライト
(鉄分を含んだ土)の砂埃が植物から人に至るまで、真っ茶色に
染めていきます。車で通過するには、ちょっと後ろめたく且つ
由々しき問題だと思います。

セレンゲティ国立公園の思い出2

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ンゴロンゴロからセレンゲティへ往く道々には、ナービに近づく
に連れ、草食獣、トムソン・ガゼルやグラント・ガゼルそして
ヌーやしまうま、更にはチーターが結構闊歩していた時代でした。

今は雨季の始まる1週間前には野焼きが行なわれ、肝心の時には
彼らが黒焦げの原っぱから避難しているようで、彼らの棲息数が
減った事も一因でしょう、余り見れません。

ゴル・コピエ(ナービに向かって右手の草原地帯)や道路の反対側、
左手のンドゥトゥに続く草原地帯が順番に交代で立ち入り禁止に
なっていました。

最近は両側とも全面的に立ち入り禁止地区になっており、小石を
避けてその草地を走った事も過去の事になりました。

今やセレンゲティ国立公園の殆どがオフロード禁止になっています。
勝手、セロネラ・ワイルドライフ・ロッヂを基準として80km圏内
だけでしたが、その後90km圏内になり、今や全地域です・・・。

動物保護や草原や植生が荒れてしまうオフロードは、ケニアの
マサイ・マラ国立保護区がその悪い例になります。

今現在はまだセレンゲティ国立公園が柵(!)もなく隣接されている
ので救われています。何とか早いうちに手を打たないと今後南部
アフリカのように動物達を他所から補充しなければならなくなる
のではないでしょうか?

そして最近の心配は、ンドゥトゥ地区がオフロード出来ると聞き
及んだ観光客が世界各地から集中して来ているからです。

特にヌーの出産時期にはンドゥトゥの南・北両地域には集中して
見る事が出来るため、猫も杓子もヌーヌーと集まって来てます。

近年ンドゥトゥ地区の宿泊施設はかなり増えましたが、それでも
需要に対して供給は間に合わない状況で、モバイル形式のテント・
ロッヂ(シーズンだけに設置される大型テント式・ロッヂ)が
全盛です。

地の利と安さで人気のロッヂは、それこそ1年前から予約しても
オッケーが取れません。この異常なブーム何時まで続くのでしょう・・・。

もっと穏やかなサファリが出来る事を祈ります。

写真:いずれもンドゥトゥ地区にあるモバイル形式テント

セレンゲティ国立公園の思い出2

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ンゴロンゴロからセレンゲティへ往く道々には、ナービに近づく
に連れ、草食獣、トムソン・ガゼルやグラント・ガゼルそして
ヌーやしまうま、更にはチーターが結構闊歩していた時代でした。

今は雨季の始まる1週間前には野焼きが行なわれ、肝心の時には
彼らが黒焦げの原っぱから避難しているようで、彼らの棲息数が
減った事も一因でしょう、余り見れません。

ゴル・コピエ(ナービに向かって右手の草原地帯)や道路の反対側、
左手のンドゥトゥに続く草原地帯が順番に交代で立ち入り禁止に
なっていました。

最近は両側とも全面的に立ち入り禁止地区になっており、小石を
避けてその草地を走った事も過去の事になりました。

今やセレンゲティ国立公園の殆どがオフロード禁止になっています。
勝手、セロネラ・ワイルドライフ・ロッヂを基準として80km圏内
だけでしたが、その後90km圏内になり、今や全地域です・・・。

動物保護や草原や植生が荒れてしまうオフロードは、ケニアの
マサイ・マラ国立保護区がその悪い例になります。

今現在はまだセレンゲティ国立公園が柵(!)もなく隣接されている
ので救われています。何とか早いうちに手を打たないと今後南部
アフリカのように動物達を他所から補充しなければならなくなる
のではないでしょうか?

そして最近の心配は、ンドゥトゥ地区がオフロード出来ると聞き
及んだ観光客が世界各地から集中して来ているからです。

特にヌーの出産時期にはンドゥトゥの南・北両地域には集中して
見る事が出来るため、猫も杓子もヌーヌーと集まって来てます。

近年ンドゥトゥ地区の宿泊施設はかなり増えましたが、それでも
需要に対して供給は間に合わない状況で、モバイル形式のテント・
ロッヂ(シーズンだけに設置される大型テント式・ロッヂ)が
全盛です。

地の利と安さで人気のロッヂは、それこそ1年前から予約しても
オッケーが取れません。この異常なブーム何時まで続くのでしょう・・・。

もっと穏やかなサファリが出来る事を祈ります。

写真:いずれもンドゥトゥ地区にあるモバイル形式テント

セレンゲティ国立公園の思い出

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1975年の暮に初めてセレンゲティ国立公園の地を踏みました。
全てが夢中のままで、それでもうっすらと覚えているのはセロネラ・
ワイルドライフ・ロッヂの外観とナービ・ヒル・ゲートの様子です。

35人だったかの人数で押し寄せたサファリとは思えない位、ケニア
からの同行ドライバーはいつも先頭で一番乗りでした。あの当時
はまだ、国境もスムースにお互いに通過出来る時代でした。

ナービまでの道は正に洗濯板で、舗装する代わりに道路に敷き
詰められた小さな白い小石が、ボンボン車体に絶え間なくぶつかり、
対向車とすれ違う時には、ドライバーがフロント・ガラスに風圧で
小石が飛び、ひび割れるのを避けるために手をかざします。

それでも道路の両側には次々と草食獣やチーターが現れ、こんなに
動物が沢山いるんだ~と当たり前のように思っていました。

レストランは食事時はいつも人でごった返していて、それなのに、
一人一人に若いあどけないボーイさんが、サーブして行きます。
もっと頂戴と頼めばニコニコして沢山くれますから、どんどん後
の方にサービスされる分量は少なくなります(笑)。味も家庭的、
塩味が効いて、素朴で美味しかったです。

それでも彼らは日本で言う中学校卒業で、一人でこんな遠いところ
に働きに出て来てるのですね。やっぱり寂しかったり、給料が安い
のでしょう。純粋に嫌味でなく、日本からのお土産を欲しがりました。

部屋の窓辺には木登りハイラックスが・・・。でもあの頃はまだ
サバンナ・モンキーはいませんでしたね~。多分多少なりとも生態
が変わったのでしょうね。